第25話  万 博 本文へジャンプ
何かと前評判が悪く、関心度の低い大阪関西万博が開幕しました。
蓋を開けてみると、予想外の盛況に対応が追いつかず、問題が噴出。
全てをスマホで完結させるシステムである以上、事前に想定できたはず
なのに、一気に押し寄せる入場者への対応がキャパを超えてしまって、
入場の際のQRコードが読み取れないという問題が発生し、慌てて基地局
を増やすという後手後手・・・
同様に、会場内で連続的に駆使する入場者のスマホはモバイルバッテリ
を用意していてもすぐに充電切れになり、充電スポットが充分に無い為、
順番が回ってくるまでひたすら並んだり、会場の紙の地図を購入する為
ひたすら並んだり・・・
食事もひたすら並んで結局ありつけず、外から持ち込んだ人が正解だとか。
閉幕する10月13日までの日本の気候は、豪雨もありえる梅雨と猛暑。
これも、事前に想定できることなのに、雨風を凌げる場所が無い。
一部、日傘を提供したパビリオンもあったようですが、会場全体の行き届
いた対応が無い、等々。
イベントや行事というのは、充分に検討を重ねて完璧に準備したはずでも、
実際に始まると、想定外の問題やトラブルが付き物なので、日々、アップ
デートして改善されていくでしょうから、ちょっと経ってから行った方がいい
かもしれませんが、暑くなりそうですね(笑)


1970年の万博が行われた頃の日本は本当に元気いっぱいで、日本人が
皆、日本の輝かしい将来を信じて疑わなかった時代です。
私は、学校から万博に行かせてもらいました。
事前に、数人のグループを作り、わざわざ授業時間の一部を使って、配布
された資料を基にグループごとに行きたいパビリオンを決めて、集合時間
に所定場所に集まるまでは、自由行動でした。
先生からは、「月の石が展示されるアメリカ館や、ソユーズの実物が展示さ
れるソ連館はおそらくすごく並んでて時間が勿体ないから、他のパビリオン
をできるだけ沢山回るように」と言われ、「月の石観たいのに〜ソユーズすご
そう!」などと言いながらも話し合う時間が楽しく、皆ワクワクしながら三菱
未来館やIBM館、松下館などを中心に回ることを決めました。
当時は、勿論、携帯なんかありませんから、あの広い会場で自由行動させ
て、集合時間に全員が無事に戻ってくるまで、先生方は気が気では無かっ
ただろうなあと今なら思いますが、そんな事はお構いなしの私達は、キャッ
キャとはしゃぎながら、大勢の群衆の中をあちこち行き回りました。
確かに激しく並んでいるアメリカ館やソ連館を目の当たりにすると、先生は
正しかったんだと皆、納得したし、事前に決めたパビリオンはどこも、未来
に希望を持てるような内容で、現在私達の日常に当たり前にある携帯電話
やムーヴィングウォーク等が紹介されていて、私達にとって目を見張る情報
ばかりでした。
最後にコロンビア館で、「コロンビアのコーヒー!美味しいよ〜」と現地人の
おじさんに声をかけられて家族へのお土産に買って帰り、楽しかった万博の
話をしながら飲んだコーヒーのとても美味しかったことを覚えています。

「万博なんか意味がない」と言う人もありますが、やはり、学校の机の上での
学習と、実際に自分の目で見るリアルな学習とは全く違うもので、子供達が
見聞を広める為には決して無意味ではないと思います。
ただ、当時も米ソの冷戦時代の真っ只中でしたが、現在は本当にウクライナ
のパビリオンのテーマ“NOT FOR SALE”に象徴されるように、悲惨な戦争や
分断に満ち溢れていて、1970年の頃より、世界中が混沌としています。
万博の平和な競演が、ただのお祭りに終わらないでほしいのですが・・・

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