第43話 ドライブ・マイ・カー 本文へジャンプ
カンヌ映画祭での4冠受賞、そして13年ぶりのアカデミー国際長編映画賞で
話題の映画「ドライブ・マイ・カー」を、3月末に観てきました。
4月に入って、じっくりと、原作村上春樹さんの「女のいない男たち」と、
劇中劇として登場する、チェーホフの「ワーニャ伯父さん」を読みました。

原作の「ドライブ・マイ・カー」は、51ページの短編小説ですが、
映画は、3時間に1分少ないだけの179分という長丁場の作品で、
濱口監督が世界的に評価されている、いわゆる「濱口ワールド」満載の、
見応えのある映画でした。


感染者数は下げ止まったまま、あまり手放しで「普通の生活」を謳歌できる
状況とは言えませんが、社会的にウィズコロナにシフトし始めたタイミングで、
去年から観に行きたかった映画をやっと観ることができました。
映画館は閉鎖的な空間ですが換気が良く、余程の爆笑を誘う内容でなければ、
皆さん無論マスクをしたまま無言で鑑賞されているので、安心です。

「ドライブ・マイ・カー」は、途中で飽きたり睡魔に襲われることなく、
じわじわと引き込まれ、観る者にさまざまな事を深く考えさせる内容で、
息つく間もないアクションがあるわけでもなく、次々に展開する場面に、
翻弄されるわけでもなく、静かに確実に人の内面に入り込んでいく映画で、
3時間も経過したことが不思議なくらいでした。

主人公の家福という名の男は、若くして妻を亡くします。
原作では、最初から妻は癌で亡くなっているのですが、映画では二人の、
官能的なベッドシーンとその最中に妻が観るという不思議な夢の話が、
語られていきますが、どちらにしても、深く愛し合っていたはずの妻が、
密かに家福を裏切って、複数の男と関係しているのを知っています。
知っていながらも、気づかないふりをして心の中で苦しみながら、
妻と愛し合い、映画では妻が突然死します。
そして、妻の死後も、どうしてあんなに愛し合っていたはずの自分を、
妻が裏切り続けていたのか、他の男たちに一体何を求めていたのか、
その答えが見出せないまま、悶々と、過ごしています。
その関係を知っている事を全く出さずに、妻の相手の男と酒を飲みながら、
「僕は妻の大事な一部を本当には理解できていなかった。
妻が死んだ以上、永遠に理解されないままだ。」と、語ります。
相手の男は、「誰かのことをすべて理解するなんてことが僕らに、
果たしてできるんでしょうか?結局のところ僕らがやらなくちゃならないのは、
自分の心と上手に正直に折り合いをつけていくことじゃないでしょうか?」
と、答えるシーンは、彼を演じる岡田将生さんの名演技で、
映画の中盤でぐっと観客を引き込むアクセントになっていました。

名演技といえば、全編を通して、派手に自己主張するわけではないのに、
ずっしりと存在感のある、家福の専属ドライバー、みさきです。
オーディションで一目見た時、「みさきだ!と思った」と濱口監督が、
述べている通り、イメージにぴったりの三浦透子さんは、
歌手としても活躍する注目の若手演技派女優です。
緑内障を患って運転できなくなった家福の代わりに、愛車サーブを、
見事に運転して家福の仕事の送り迎えをする彼女との会話で、
次第に彼はさまざまな苦しみや御しがたい思いを受け入れていきます。
不愛想で無口で器量が良くない女性という描写は、原作も同じですが、
映画では、彼女にも傷を負った過去があり、その過去を知ることが、
家福の心の変化をもたらすきっかけになっていくように描かれています。
原作では、家福はチェーホフの「ワーニャ伯父さん」のワーニャを演じる、
俳優ですが、映画では、俳優でもありこの戯曲を演出する立場でもあり、
多言語演劇という形態で、この劇中劇の練習風景は、
本番で感情を込めるまではひたすら本読みし続けるという、
濱口監督の手法そのものらしく、とても珍しく面白いものでした。
主役の家福を演じた西島秀俊さんは、本番で味わったことのない感動で、
こんな経験は始めてだったとのこと。

最後は、姪のソーニャがワーニャ伯父さんに、手話で語るシーン。
韓国の女優さんが演じる韓国手話の時々パチンという音以外に、
音の無い静かな会場に、字幕だけが流れます。
「ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ。長い果てしないその日その日、
いつ明けるとも知れない夜また夜を。じっと生き通していきましょうね。
運命が私たちに下す試みを、辛抱強くじっとこらえて生きましょうね。
今もやがて年をとってからも片時も休まずに、人の為に働きましょうね。
そしてやがてその時が来たら、素直に死んでいきましょうね。その時、
この世の中の悪いものが、私たちの悩みも苦しみも残らずみんな、
神様の大きなお慈悲の中に飲み込まれて、私たち、ほっと息がつける、
本当にほっと息がつけるのよ。」
映画のエンドロールが終わって会場のライトが点いても、私を含め、
多くのお客さんがしばし、何も映っていないスクリーンに向かって、
無言で座っていました。心の奥底がシーンと静まり返っているようでした。

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