「1月は往ぬ、2月は逃げる、3月は去る」などと、
昔の人は、年が明けてから3カ月の過ぎ去る早さを表現しましたが、
昨年から異例の寒さが続き、今年に入ってからは特に、
全国的な極寒に見舞われている為、事の他、春の到来が待ち遠しいですね。
患者さんの中には、受験生を抱えているご家庭も多く、
インフルエンザの大流行も相まって、その健康管理や環境整備に、
神経をとがらせ、親御さんの方が疲弊されている例も少なくありません。
いつもと変わらず平常心でいられる子供さんもいますが、
デリケートで、緊張すると下痢をしたり、眠れなかったり、
ナーバスになって家族や物に当たったりする子供さんもいます。
子供は、自分の事だけ考えていればいいとはいえ、
自分の力で壁を乗り越えないといけないという、ほとんどの場合、
生まれて初めての試練に立ち向かわなくてはいけません。
しかし、親はそれ以上に大変です。
「親」という字は「木の上に立って見る」と書くのだからと、
よく、親の理想的な在り方が表現されますが、
本当に、こういう場合、親は出来得る限り最適な環境を整えて、
何かあった時にいつでも手を差し伸べられるだけの準備をした上で、
後は、距離を置いて、じっと根気よく見守るしかありません。
自分で手を下して頑張れる方が余程楽ですから、
これは、かなり忍耐力が必要な、苦しい、
人生の中でも時間の経過を長く感じる場面のひとつです。
でも、親も子も「早く終わってほしい!」と願う、この受験の季節も、
その、長〜く感じた場面も、後になってみれば、
長い人生ドラマのほんのひとこまに過ぎませんよね。
受験に限らず何でもそうですが、自分にとってしんどい状況に置かれたり、
試練に遭っている時は、それがもう自分の中で「全て」になってしまって、
俯瞰して物事が見られなくなってしまいがちです。
とても難しいことですが、しんどい時程、「親」という字のように、
木の上に立って見る程の、ちょっと客観視するような物の見方ができると、
ジタバタともがく苦しみから少しは解放される気がします。
以前にもお話しましたが、自律神経症状の強い患者さんにも、
これは言えることです。
「苦しい」「しんどい」のは勿論なのですが、朝から晩までそれが全てで、
その調子の悪いところばかりを常に観察し続け、数え続けて、
自らをガンジガラメにしてしまっている患者さんは、
外部からどんなに働きかけても治療効果が出にくい傾向にあります。
こういうお話をして、「あぁそうか〜」と気付きを得る患者さんは、
見る見る良くなっていきます。
「気付き」を得るには、何も高僧の有難いお説教を聞かなくても、
哲学書や自己啓発本を読まなくても、他人の何気ない話や、
マンガやテレビドラマ、お笑い番組ですら、そのヒントは見出せます。
ユーミンの歌に、「眼に映るもの全てがメッセージ」という歌詞がありますが、
受け取る側にちゃんとセンサーが在りさえすれば、
自分に必要なメッセージは周りにいっぱい満ちています。
今、「君たちはどう生きるか」という吉野源三郎さんの本が、
80年の時を経て、大ブームになっているのも、
自分に必要なメッセージを求めている人が、
それだけ多く居るということなのでしょう。
ともあれ、受験生には勿論のこと、この長く感じる寒い冬が終わって、
きらめく春が早く訪れることを願っています。
春よ来い!早く来い!
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