第44話  一つの仕事を貫く 本文へジャンプ
先日、ある患者さんに言われた言葉を、このところ折に触れ考えています。
「先生は、ずっと長い間一つのお仕事を貫いてやってこられて、
羨ましいです。私なんか、仕事って言ったって、その場その場で、なんにも
残ってない。これという事は何もしてない。」
彼女は、20年以上、断続的に来院してくださっている、私と同世代の方です。
それこそ今では誰もが羨むような有名人となったお嬢さんを、
そこまでに育て上げる為、昼夜問わず仕事をし資金調達とバックアップに、
ご自分の全てをかけてこられた、その涙ぐましい姿を私は知っています。
とてつもなく大きな目標を達成した後の、いわば燃え尽き症候群のような
状況に陥っているのは当然のことです。
でも、自分の子どもを有名人に育て上げるという偉業を成し遂げることなど、
無論どの親にもできる事ではなく、「何もしてない」どころか大仕事ですよ!
もっと誇りに思ってください、と伝えました。

逆に、あんな子どもさんを持っていいなあ、羨ましい!と思っている人は、
世間にいっぱいいるはずです。
一人の成功や栄光の陰でその人の親家族がどれほどの苦労や努力を、
重ねてきたかは、なかなか見えるものではありませんが、
これほど尊い親の愛はありません。
でも、脇目も降らず子どもさんの為に働いてきて退職した彼女にとっては、
「自分の人生」という確かな実感がどうしても感じられないのかもしれません。
これからは、ご自分の為に何かを見つけて始めるのに遅いということは、
無いですよ、とアドバイスして、今後の彼女をまた心身共に
応援していきたいと思っています。

彼女が私に投げかけた、「ずっと長い間一つの仕事を貫いてやってきた」
ことを、ふと、それってどうなんだろう?と、考えたのは初めてのことです。
ひと昔前は、自分の仕事を一生貫くのはある意味、理想的な生き方でした。
「終身雇用」が当たり前だった時代、それを疑問にも思わなかった日本人。
しかし、昨今、それは大きく様変わりしてきました。
新卒で入社した若者が3年程で辞めるのは珍しいことではありません。
副業を持つのも推奨されるようになってきました。
ホリエモンさんは、「安定を求めることはリスクだ」とまで言い、
著書に、「その場に居続けることは、現状維持ではなく衰退を意味する」
と、言い放っています。
確かに、将来が見通せない現代社会では、一理ある考えだと言えます。

とはいえ、来年、開業40周年を迎える私にとっては、今更、
「その場に居続けること」云々と言われても、その場に居続ける他、
ありません(笑)
それどころか、この業界でよく見られる、「自分の技術を以てすれば、
治せない患者はいない」と自信満々の先生には、私は何年経っても、
なれそうにありません。
一つの仕事をこんなに長くやってきても満足のいく仕事ができてないと、
日々思っているからです。
人体の神秘は、現在の日進月歩の医学をもってしてもまだまだ
解明しきれていないのに、一人ひとりが個人差に満ちた小宇宙を有し、
複雑な要因がからまって身体に不具合を生じている患者さんの、
全てを把握して、自分の治療で治せないことはないなどと、
どうして、一鍼灸師に言えるでしょうか・・・私には言えません。

先日、「プロフェッショナル仕事の流儀」という番組で、
俳優の小栗旬さんを密着取材していました。
年を重ねるにつれ味が増し、押しも押されもしない演技派の名優で、
現在、大河ドラマで主役を演じている、私も大好きな俳優さんの一人です。
彼の実力は誰が見ても疑う余地はないはずですが、彼は、
「小栗旬は演技がへたくそ。今まで一度もいい芝居なんかできてない。」
「でも、自分でない者を演じることが好きでやってきたから、
自分でない者を演じてる僕の嘘で、誰かの人生にちょっとでもクサビを
打ったみたいな、人生を変える事ができるような演技ができたら
それでハッピー。」と語り、自分が納得のいく演技を追及する苦悩を、
その後ろ姿に滲ませていました。
私がこんなことを言うのは、おこがましい事この上ないのですが、
彼の言っていることは非常に理解でき、すごく共感を覚えました。
自分にとって満足のいく仕事ができなくても、患者さんの一人でも、
その苦痛から解放されたと、先生と出会えて良かったと言われたら、
それほど嬉しいことはありません。

葛飾北斎が、90歳で臨終の時「天がもう10年いや、もう5年命をくれたら、
真の絵描きになれるのだが」と言ったと伝えられています。
私には、こんな猛烈な執着心は全くありませんが、
「一つの仕事を貫く」とは、こういうことなのではないでしょうか・・・
尽きることのない長い長いある意味、苦悩の道のりなのです。

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