第2話  「ゆるふわ」の触れ合い 本文へジャンプ
数年来、2.3か月に1度くらいのペースでランチを共にする親友がいます。
お互いに忙しいので、場合によっては半年くらい会えない時もありますが、
だからこそ毎回、ランチの間の2時間程は、積もる話で盛り上がります。
彼女は、自らも大御所の先生の指導のもと書道展などに出品しながら、
習字教室を開いて多くの子供たちを教えています。

彼女と私は、高校時代の親友ですが、違う大学に進んで離ればなれになり、
お互い、大学の専門とは違う職業に就き、結婚、育児と、
人生の壮年期は、同じ岡山市内に住みながらも、
年賀状のやり取りだけで、時が過ぎていきました。
私達が、大学生から壮年期にかけては、勿論、携帯も無く、
パソコンも一般的には普及していない時代ですので、
連絡を取る方法は、手紙か葉書、相手宅に直接電話するしかありません。
なので、結局、お互いに負担にならない年に一度の年賀状が、
唯一の連絡ツールとなってしまいがちでした。

お互いに子供達も独立し、仕事と家事に追われる日々にも、
少し余裕が出来た頃、彼女の年賀状に携帯のメールアドレスが、
小さく書かれているのを見つけ、私がメールを送ったことから、
約40年ぶりに会うことができました。
久しぶりに会う日、まさかお互いに解らないってことは無いよな、と思いつつ、
まるで恋人に会うかのようにドキドキしてその時を迎えました。
会った瞬間、お互いの口から出た言葉は、
「いやぁ〜!!変わってないね〜!!」
全然変わってないはずはないのですが・・・(笑)
一瞬にして二人とも、女子高校生にタイムスリップしてきゃっきゃとはしゃぎ、
冷静になると、お店の他の人達に呆れられてたかもと恥ずかしくなる始末。

それからというもの、40年近くのブランクが全くなかったかのように、
高校時代、一緒にお弁当を食べながら勉強や進路の話や先生への不満、
かっこいい男子の話などをしていた頃と全く変わらず、
再び、ランチを共にするようになりました。
私は、介護が全て終了しましたが、彼女はまだ少し抱えているので、
彼女の楽な時に、「ランチしよう。」とメールしてきて、
二人のスケジュールをすり合わせて会います。
ただ、2時間程、食事をして終わるというのではなく、
同業者ではない為に、仕事の話も気楽にできるし、
お互いの家族の話、介護の話で共感し合ったり、
お互いに口は堅いので、他人にはあまり言えない話を安心してできたり、
女性同士にありがちな、対抗意識や見え等も全くない、本当に貴重な、
得難い大切な親友との幸せなひと時です。

中には、同じように学生時代からしばらくのブランクがあって、
久しぶりに会う友人でも、長い人生経験の間に人柄がすっかり変わって、
「こんな人じゃなかったのに・・・」と、寂しくなることもあります。
自分の持ち物や身につけているものの自慢や、子供や孫の自慢以外、
他に話題が無いのかなと思える「自分が一番タイプ」の人。
反対に、自分の人生や体調が不幸の極みで、あなたなんかいいわね、と、
「隣の芝生の青さばかりが気になる、やっかみタイプ」の人・・・
いずれにしても、「自己」に執着し過ぎで、前を向いてなく、
話をしていても疲れを感じるので、通り一遍のお付き合いのみに、
なってしまいます。

彼女と私は、色々話してみると、お互いそれぞれに波乱のある人生で、
決して順風満帆とは言えず、しんどくて辛い時期も、
乗り越えてきていますが、二人ともに共通しているのは、
どんな時もポジティブで、明るく、カラッとあっさりとしている点のようです。
「大変だったんよ〜」と言いつつも、なんかあまり大変じゃなかったように、
ケロッとして笑いながら話し、一つの事に執着したり、グチグチしたりもない、
要するに感情が同じ場所に長く停滞せず、常に前を向いている。
だから、お互いに対して違和感を覚えないので、
どんなに話をしても一向に疲れないのかもしれません。
お互いに忙しい日々の狭間で、夢中で食べてしゃべって、
「うわ〜もうこんな時間!」と、慌てて帰る用意をし、
「また、会おうね!」と言って別れます。

佳き友を持つことは、人生の財産ですが、
特にひと歳とってからの佳き友は、とても大切です。
さまざまなしがらみに縛られている家族とは違った、
「ゆるふわ」の触れ合いです。
今後も、二人で歳を重ねながら、ずっと「ゆるふわ」の触れ合いを、
続けていければと思っています。

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