第16話  食育


クジで町内会の副会長が当たってしまった話は、第14話でご紹介
しましたが、その業務の一環で、地域の民生委員さんとお話をする
機会がありました。
印象的だったのは、以前から私が心を痛めている児童虐待の問題。
児童虐待の中でも、身体的な暴力よりもいわゆるネグレクトが深刻で、
学校給食が唯一のまともな食事であるという児童が想定以上に多い
とのことです。

「治療室の小窓」シリーズで以前も触れた山上憶良の歌にもあるように、
自分が美味しいものを食べた時、遠く離れた吾が子にふと思いを馳せる
のが親であり、たとえ貧しくても遣り繰りして自分のものも子供に分けて
与えるのが親であったはずなのですが・・・
勿論、殆どの親御さんがそうなのですが、そうでない親御さんが一定数
居て、想定以上に増加してきているというのですから悲しいことです。

折に触れお話してきましたが、人間の身体は食べた物でできています。
当たり前ですよね。食べ物の持つ栄養素が、器質的にも機能的にも
不可欠で、霞を食べて生きるという仙人じゃない限り生きていけない。
さらに、東洋医学を生業としている私が大いに言いたいのは、科学的な
栄養素以外に重要な「気」の存在です。
食材にはそれぞれの「気」があります。肉でも魚でも野菜でも、収穫され
人間が食べやすいように加工されいわば死んだ状態であっても、食べる
ことができる間は、まだ「気」を放っています。
私は料理は好きなので、休みの日に作り置きしたり、仕事から帰って
疲労感満載状態でも野菜を洗ったり刻んだりしていると、その野菜から
もらう「気」によって、す〜っと疲労が消失していくのを感じたりします。
この、食材が持つ「気」以上に重要なのが、その食材を料理する人の
「気」が、その料理に投入されているということです。
不足タラタラやイライラ怒りながらでは勿論ダメですが、家族に美味しい
ものを食べさせたいと無心で作った料理には、家族を元気にする「気」
が籠っています。
人気のシェフの料理が絶品なのは、そのシェフの料理への愛、お客様
への愛が人並外れて強いからだと言えます。

昔は母親が料理する傍らで、下ごしらえなど手伝わされたものですが、
最近は、勉強や習い事、部活などが忙しい学生時代を過ごし、親も
手伝わせることなく、せっかくお料理上手な親のもとで育ったのに
教わる機会なく大人になって結婚し、子育てしながら仕事もして、
料理は苦手という若い人が増えています。
そういう患者さんには、男女問わず、実家に帰る度に一品ずつでも
お母さんにおふくろの味を教えてもらっときなさいよ、勿体ないよ、
と言っています。
そして、忙し過ぎて、仮に買ってきたお惣菜でも、お皿に見栄え良く
盛り付けて、お味噌汁でも煮物でもサラダでもいいから、一品だけ
でも手をかけた親の「気」が入ったものを子供に食べさせることが
大事だよ、と。
一流シェフを目指す必要はありません。できる範囲でいいのです。

食べることは、生きる源です。
子どもが思春期の頃、わけもなくイラついてたり口を利かなかったり
大人になっても何かに落ち込んでたり、壁にぶち当たったりしている
時に、敢えて余計なことは何も言わずに、ちょっと気を入れた料理を
食べさせると、表情がほころんできて、下手な言葉がけをするより
効果的だったという経験が私にも何度もあります。
昨今は、こども食堂の活動が盛んですが、親からネグレクトを受けて
いる子どもたちにも、他人でもいいからその人の「気」が入った料理を
食べて腹も心も満たされる機会を、給食以外にも数多く持たせてあげ
れたらと、思います。
「食育」とは、1.食べ物を選ぶ力 2.料理ができる力 3.食べ物の
味がわかる力 4.食べ物のいのちを感じる力 5.元気なからだが
解る力 この5つの力を養う教育だそうです。
 
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