第5話  LGBT 本文へジャンプ
最近、ある男性の患者さんが、しみじみと言われました。
「僕は、LGBTと言うんが、どうも理解できん。
男同士、女同士で、
結婚したい、法律上の夫婦として認められたい言われても、認められん。

そういう時代じゃなくなってるのは解るけど、ものすごく違和感がある。
周りには一人もおらんし、まあ、隠しとるんかもしれんけど・・・」と。

かと思えば、「僕は、周りには居ないけど、理解はできてるつもり。
東京に居た頃、よく仕事仲間といわゆるゲイバーに行ってたけど、
彼らと話してると、その生き方とか考え方とか、なるほどって理解できたし、
話題が豊富で楽しかった。まあ、色んな生き方があっていいんじゃない?」
と、言う方も。
このお二人は、団塊世代のアクティブシニアですので、その考え方に、
受けてきた教育の影響はあまり関係ないのかもしれません。
女性の患者さんは、「男性同士はちょっと生理的に受け入れられない。
僕は心が女ですと女風呂や女子トイレに、見た目が男そのものの人物が
入ってくるって想像しただけで怖いし、なりすましだって絶対出てくるし。
でも、女性同士は理解できないことはないかな・・・」と、年配の女性は、
学生時代に先輩の女性に憧れた経験や、宝塚などの影響からか、
女性同士については理解できると言われる方が多いようです。

当クリニックに来院される患者さん全員にアンケートをとったわけでは、
勿論なく、治療中に偶々色々な時事問題とかお話しされる患者さんの
傾向として、やはり、幼い頃から芸能人などの影響を受けたのかなと、
思われる40代以下の若い患者さんは、理解度が高いようです。

いずれにせよ、以前も「治療室の小窓」のどこかで書いた記憶が、
ありますが、男性にも女性ホルモンが、女性にも男性ホルモンが、
分泌されていて、一人の人物のなかに男性的な部分と、
女性的な部分が混在しているのが誰にでも当たり前にあって、
その濃度に個人差があって当然だと思われます。
自分の肉体の性と心の性が一致しないという現象が起こる事は、
こんなに苦しいことは無いだろうと想像に難くないですよね・・・
これは、物心ついてから始まる終わりのない苦しみであり、
決して本人のせいでも生んだ親のせいでもなく生じた現象です。
でも、その苦しみを抱えながらも、この世に生を受けた以上、
社会の一員として生きていかなくてはいけません。
その為には、その人が生きていく当然の権利が与えられるべきで、
やはり、そういう社会であるべきだろうと思われます。

最近は、LGBTにQも加わり、LGBTQ、または、LGBTQ+などと、
表現されることもあり、Qは“Questioning”で、自分の性が判らない、
もしくは敢えて決めたくないという意味があり、余計に理解しづらく
なっているのかもしれません。
また、その曖昧さゆえに、なりすましなどの犯罪の温床になっては
元も子もありません。

この、性自認に関してだけではなく、多様性を認め、受け入れていく、
これはさまざまな課題を乗り越えなければならず困難を極めますが、
死ぬほど苦しんでいる人がいるのであれば、その人が少しでも
ありのままに生きやすくなれるよう、寄り添ってもらえる居場所や
環境が増えていくといいなと思います。

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