第42話 「受け入れようよ」などとは言えません 本文へジャンプ
毎日美味しいご飯が食べられる。
毎日気持ちよくお風呂に入ることができる。
毎日心地よいお布団にくるまって眠ることができる。
「あぁ、自分はこのような生活ができてありがたいなぁ・・・」
神戸の震災時、東北の震災時、岡山県真備町の水害時に、
しみじみと私が感じた思いです。
コロナ禍でも、さまざまな行動制限に不自由な思いもし、
人によっては、職も住む家も失い、当たり前の生活が如何にありがたいか、
皆が痛感しました。
そして今、日々報道されるウクライナの惨状を見るにつけ、
平和が当たり前で、特にありがたいと思わずに酔い痴れている日本人は、
少なからず衝撃を受けました。
広島、長崎に原爆を落とされ、終戦を迎えてから今年で77年という日本で、
戦争を実体験した方たちは次第に少なくなり、戦争経験の無い私たちも、
改めて平和の尊さを噛みしめる機会になっています。

当クリニックに来院された患者さんの中にも、辛い戦争体験を、
語ってくださった方が大勢おられます。
満州で戦っている最中に盲腸になり、麻酔など勿論無く、軍医に、
「日本男子たるもの歯を食いしばって堪えよ!」と怒鳴られながら、
日本刀で手術された方、「どんな痛みもあれに比べればへでもねえ」と。
同じく、満州で結核になって国に送還され、さんざん非国民だと罵られながら、
終戦まで過ごし仲間は皆、戦死。「今、豊かな暮らしをしてる自分が、
申し訳ないけど、結核になったのは、戦死した仲間を弔う使命があったと、
考えることにした。」という方。
極寒のシベリアに抑留されて、強制労働させられた方。
「1日1食、固いパン1個と、ほとんど具のないスープ1杯だけで朝から晩まで、
強制労働させられて、仲間が大勢死んでいった。でも、ロシア兵の中には、
ええヤツもおって、こっそりパンを手に握らせてくれたりもした。」
「岡山の空襲の時、女学生じゃった私は、乳飲み子の弟を背中に負って、
焼夷弾の下を逃げたんじゃけど、弟の上に火柱が落ちてきて、
弟は、自分の身を犠牲にして私を守ってくれたんよ。」と、鍼治療時、
背中の痛々しいケロイドのわけを聞かせてくださった方。
貴重なお話を聞かせてくださったその患者さんたちは、
もうどなたもこの世にはおられません。
でも、皆さんが異口同音に言われたのは、「辛かったし、苦しかったけど、
今、自分が生きていることや平和をありがたいと思える。
戦争は絶対ダメだしひどい目に遭ったけど、日本の国にとっても、
自分にとっても、意味があったんだと思う。」と。

私たちが生きていくのは、大変なことです。
自然災害、病気、事故、戦争など突然の予期せぬ出来事に、
見舞われることもあれば、日々の平凡な生活の中でも、自分自身や、
周りの人と向き合って行く上でごちゃごちゃと苦悩を抱え、
しんどいことが多いですよね・・・
2年前、第24話でご紹介した時以降、怒涛のような勢いで躍進している、
藤井風君の歌の歌詞が人々の心に刺さるのも、
あらゆる人生のしんどさを敢えて抉り出し、それを「受け入れようよ。」と、
寄り添うからなのでしょう。

ウクライナの国民に、「受け入れようよ。」などと言えるはずがありませんし、
私たちには、寄付をしたり、そっと祈るしかできませんが、
なんとか、少しでも落としどころが見つからないかと願うばかりです。

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