毎日美味しいご飯が食べられる。
毎日気持ちよくお風呂に入ることができる。
毎日心地よいお布団にくるまって眠ることができる。
「あぁ、自分はこのような生活ができてありがたいなぁ・・・」
神戸の震災時、東北の震災時、岡山県真備町の水害時に、
しみじみと私が感じた思いです。
コロナ禍でも、さまざまな行動制限に不自由な思いもし、
人によっては、職も住む家も失い、当たり前の生活が如何にありがたいか、
皆が痛感しました。
そして今、日々報道されるウクライナの惨状を見るにつけ、
平和が当たり前で、特にありがたいと思わずに酔い痴れている日本人は、
少なからず衝撃を受けました。
広島、長崎に原爆を落とされ、終戦を迎えてから今年で77年という日本で、
戦争を実体験した方たちは次第に少なくなり、戦争経験の無い私たちも、
改めて平和の尊さを噛みしめる機会になっています。
当クリニックに来院された患者さんの中にも、辛い戦争体験を、
語ってくださった方が大勢おられます。
満州で戦っている最中に盲腸になり、麻酔など勿論無く、軍医に、
「日本男子たるもの歯を食いしばって堪えよ!」と怒鳴られながら、
日本刀で手術された方、「どんな痛みもあれに比べればへでもねえ」と。
同じく、満州で結核になって国に送還され、さんざん非国民だと罵られながら、
終戦まで過ごし仲間は皆、戦死。「今、豊かな暮らしをしてる自分が、
申し訳ないけど、結核になったのは、戦死した仲間を弔う使命があったと、
考えることにした。」という方。
極寒のシベリアに抑留されて、強制労働させられた方。
「1日1食、固いパン1個と、ほとんど具のないスープ1杯だけで朝から晩まで、
強制労働させられて、仲間が大勢死んでいった。でも、ロシア兵の中には、
ええヤツもおって、こっそりパンを手に握らせてくれたりもした。」
「岡山の空襲の時、女学生じゃった私は、乳飲み子の弟を背中に負って、
焼夷弾の下を逃げたんじゃけど、弟の上に火柱が落ちてきて、
弟は、自分の身を犠牲にして私を守ってくれたんよ。」と、鍼治療時、
背中の痛々しいケロイドのわけを聞かせてくださった方。
貴重なお話を聞かせてくださったその患者さんたちは、
もうどなたもこの世にはおられません。
でも、皆さんが異口同音に言われたのは、「辛かったし、苦しかったけど、
今、自分が生きていることや平和をありがたいと思える。
戦争は絶対ダメだしひどい目に遭ったけど、日本の国にとっても、
自分にとっても、意味があったんだと思う。」と。
私たちが生きていくのは、大変なことです。
自然災害、病気、事故、戦争など突然の予期せぬ出来事に、
見舞われることもあれば、日々の平凡な生活の中でも、自分自身や、
周りの人と向き合って行く上でごちゃごちゃと苦悩を抱え、
しんどいことが多いですよね・・・
2年前、第24話でご紹介した時以降、怒涛のような勢いで躍進している、
藤井風君の歌の歌詞が人々の心に刺さるのも、
あらゆる人生のしんどさを敢えて抉り出し、それを「受け入れようよ。」と、
寄り添うからなのでしょう。
ウクライナの国民に、「受け入れようよ。」などと言えるはずがありませんし、
私たちには、寄付をしたり、そっと祈るしかできませんが、
なんとか、少しでも落としどころが見つからないかと願うばかりです。
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