第5話  怨みに報ゆるに徳を以てす?
           〜不眠症〜
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他人から不当な扱いを受けた時、よほどの聖人君子でもないかぎり、
「怨みに報ゆるに徳を以てす」るような人は、なかなかいませんよね。
最近の大ヒットドラマではありませんが、
「やられたらやり返す。10倍返しだ!!」と、
鼻息も荒く、報復を試みる人も多いのかもしれません。
しかし、現実には、そう簡単に10倍返しで報復することはできませんよね。
そういう場合、人はどうするのでしょうか?

寝ても覚めても、その相手をじっとりと怨み続ける・・・
呪いのおまじないのようなことをして(丑の刻参りとか?)相手を倒そうとする・・・
これは、どちらも、ちょっと恐ろしすぎますね〜
はたまた、忘れようと、毎日、深酒をする・・・周りの人か物に当たり散らす・・・
これもまた、いただけませんね〜(>_<)

ある日、来院した彼は、すらっとした長身のイケメンですが、
顔色も悪く、うっとおしい表情で、体の不調をボソボソと話し始めました。
夜中に決まって同じような夢を見てうなされ、ぐっすりと眠れないというのです。
心療内科で安定剤が出て、飲んではいるが、その夢からは解放されないと。
「差し支えなければ、それはどんな夢か聞いてもいいですか?」
「元カノを殺す夢です。」
おぉ、これはおだやかではありません。

不眠症は、鍼灸治療の適応症のひとつですので、
心身の緊張を解きほぐすように、治療していきました。
「ああ〜なんか気持ちがリラックスします。」と言いながら、
次第に、なぜそんな恐ろしい夢を見るようになったかを話し始めました。
彼は、話すことによって、心の中のもやもやを吐き出しているように思えました。

高校時代から付き合っていた彼女が上京し、遠距離恋愛になっても8年続き、
そろそろ身をかためようと、プロポーズしたところ、なんか煮え切らない反応。
そうなるとだんだん言い争いが絶えなくなり、結局別れてしまった。
ところが、です。
まもなく、彼女が結婚するらしいこと、相手は仕事関係で知り合ったアメリカ人だ
との、情報が入ってきた。そういえば、彼女の口から、それらしい人の話を聞いた事がある。
ドラマにでも出てきそうな、二股劇ですが、これは確かに許せませんね・・・
彼が、彼女を殺したいほど憎むのは、もっともなことではあります。

しかし、人を、怨んだり憎んだりという攻撃的な感情は、必ず自分自身をも
攻撃するものです。彼の身体の不調はまさにそこから来ていると言えます。
とは言え、そう簡単に許す気にはなれず、苦しいところです。
が、4回目の来院時に、「先週治療してもらった晩、寝てから、気がついたら
朝でした。久しぶりにうなされなかった。」との報告。
これは、鍼灸治療を受けた患者さんがよく言われることですが、
「気が付いたら朝だった」的な眠りは、やはり心身共に癒されます。
こうなると、マイナスのスパイラルにはまり込んでいた気持ちが次第に変化し、
「良循環」が生まれてきます。

折に触れ彼女のことを思い出すと、むかついてはくるが、
悪夢でうなされることはまったく無くなってきました。
折しも、仕事の関係で、ある試験を受けなくてはいけない時期で、
彼は試験勉強に没頭するように自らの意識を向けていきました。

「怨みに報ゆるに、徳を以てす」とは、老子の言葉で、
戦後、蒋介石が、日本に対してこう述べたのは有名な話ですが、
現在の日中関係を見ても、程遠いし、我々凡人には、こういう境地に達するなんてとても無理ですね・・・
しかし、彼のような意識の向け方は、努力すればできるはずです。

なまなましい欲動を、社会的に受け入れられ、何らかの意味で高い評価を受けるものへと置き換えることを、心理学で「昇華」と言いますが、
このような防衛機制を経て、健全な自我を保つことが、とても重要です。

ちなみに、彼は、試験に合格して、お給料がアップしたそうです。
時間とはありがたいもので、彼女のことも次第に忘れていることが多くなったとのこと。
新しい彼女ができるのも、そう遠いことでなさそうです。
                                       (’13.9)

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